日本一のニートに学ぶ自分らしく心地よい生き方の極意

青い空と雲日本一のニートと言われているphaさん。

私がその生き方に非常に憧れている人でもあります。

このphaさんは、今日の生きにくい社会に一石を投じるような生き方、考え方をブログや書籍などで情報発信しています。

今となっては印税や有名税などで必ずしもニートとは言えなくなってしまった感はありますが、その人生哲学は常に一貫しています。

その哲学とは、「自分に合った環境の中で、自分らしく生きる」ということです。

ここではphaさんの著書の1つである「ひきこもらない」から、印象に残ったフレーズと共に、個人的な所感をお届けしたいと思います。

※本の題名が既にニートではありませんね。。。笑

人生は運で決まる

人は自分の生き方を全部自分で決めるわけじゃなくて、たまたまそのとき目の前に出てきたものに左右されて生きていくことが多い。

でも多分、それでいいのだ。そうしたランダムさこそが人生の 醍醐味 なのではないか

これは常々私が感じていることととても近い考えです。

人生というのは運の要素が強く、運次第で良くも悪くもなるものではないかということです。

どんなに努力しても、不幸に見舞われる人はいます。

一方で、どんなに人間性に問題があっても、幸運に恵まれ幸せに暮らしている人もいます。

結局のところ、人生はランダムであり、自分がどうこうして変えられる部分は少しではないかというのが自分の人生観でもあります。

そもそも人は親を選ぶことができない、生まれがその後の人生の多くを決める、ということを考えても、まさに運しだいと言えるのではないでしょうか。

柔軟な働き方

「週に2日は在宅勤務でいい」とか「午前中は在宅勤務で午後からだけ出社すればいい」とか「オフィスの家賃がもったいないのでオフィスを持たず全員がリモートで仕事をする」とかそんな勤務形態の職場がもっと増えたなら、通勤で消耗する度合いが減って働く人のストレスも減るし、仕事と家庭の両立もしやすくなって国全体の幸福度も上がると思うので、早くそういう社会になってほしいものだ

精神疾患を抱えながら働くということはとても大変です。

私もこの記述のように、もっと柔軟な働き方ができればどんなに楽になるかということを常々考えています。

昨今では働き方改革という名のもと、徐々に柔軟な働き方を行う企業が増えているようですが、それでもまだまだ十分とは思えません。

既にネットにつながり、働く場所を選ばない仕事が増えているにも関わらず、会社に出社させるのは奴隷制度のようではないかと思えることもあります。

多くの人がより心地よく働き、心地よく生きられるようになるためには、このような改革は必須ではないかと思います。

毎日会社に行くことが苦痛

そもそも僕が会社勤めをリタイアした理由の一つは、毎日同じ時間に起きて同じ電車に乗って長時間同じオフィスで過ごすのがものすごく苦痛だったから

自分の常識は他人の非常識ということはよくあります。

毎日会社に行くということは、多くの人にとっては常識かもしれませんが、そうすることに非常に苦痛を感じる人も中にはいるのです。

私もphaさんほどではありませんが、毎日当たり前に会社に行くということに疑問を持っています。

また、会社という閉塞感のある場所で1日を過ごすことにも違和感を感じています。

私も勇気と度胸と最低限のお金があれば、phaさんのようにリタイアしたいなあと常々思っています。

お金と人とのつながり

ニートやひきこもりが働いていないことで抱える問題というのは二つあって、それは「お金がないこと」と「社会や他人とのつながりがないこと」だ。

どっちも深刻なんだけど、僕はどっちかというと「つながりがないこと」をなんとかするほうに興味があって、働いていなくても友達や知り合いや居場所がたくさんあればそこそこ楽しくやっていけるんじゃないかと思っている

生きていくうえで人間に必要なのは、「最低限のお金」と「人とのつながり」です。

最低限のお金がないと飢え死にしてしまうし、人とのつながりがないと人生の目的を見失い、人生そのものに愛想をつかしてしまうということもありえます。

そしてこの2つのうち、phaさんがより重視しているのが「人とのつながり」です。

確かに、誰かとつながっていれば、いざという時助けてもらえたり、話を聞いてもらえたり、辛い時の緩衝材となってくれる可能性があります。

また、人とつながっていることそれ自体が人生を豊かにします。

そういった意味で、人生において最も大事なのは「人とのつながり」だと思います。

もちろん「誰とつながるか」「どのようにつながるか」といったつながりにはいくつかの形がありますが、大事なのは「自分にとって心地よいつながりを構築する」ということではないかと思います。

「心地よいつながり」が「心地よい生き方」につながっていく、そんな気がしています。

家族と会社以外の繋がりの重要性

趣味の集まりでもネットの知り合いでもなんでもいいから、家族と会社以外で他者とのつながりを持つチャンスが生まれるようなゆるい場が必要

家族と会社とのつながりというのは特殊です。

というのは、家族のつながりというのは自分で積極的につながったものではなく、生まれた時から運命づけられたつながりです。

そのつながりがいいつながりであればよいのですが、万人にとって必ずしもそうではありません。

もしいいつながりでないにも関わらず、そのつながりしかないと、人生に行き詰ってしまう可能性があります。

そういった意味で、家族以外のつながりを持つことはセーフティネットとしても、人生を豊かにするためにも大切だと思います。

会社についても同じです。

会社でのつながりは結局はビジネスライクなものなので、豊かなつながりとは別物です。

特に、会社の中の繋がりで、利害関係ないの関係はごくわずかではないかと思います。

やはり、自分が心地よいと思えるつながりを、外に持っておくことは重要なことだと思います。

散歩でメンタルを安定させる

感情が不安定なときはいつも外を歩くようにしている。

家の中で一人でものを考えているとネガティブな方向にしか行かないようなときでも、家から出て外の空気を吸うだけで少しだけ思考がマシになる

散歩には様々な効用がありますが、そのうちの1つがメンタルを安定させることです。

何かで煮詰まっているときも、散歩に出るとふと気持ちが軽くなります。

また、外に出ることで、自分のことをある程度客観的に見ることもできます。

そういった意味で、散歩は天然の精神安定剤とも言えます。

ちなみに、運動には数多くの種類がありますが、最も健康によいのは「散歩」であると私は思っています。

「普通」から外れた人間が息苦しさを感じる理由の一つは、日本社会が基本的に単一民族で、同じ人種ばかりが住んでて多様性が少ないせいだと思っている。

みんな見た目が同じだから、「みんな普通に同じようなことが当たり前にできるはずだ」みたいな思い込みを無自覚に持ちやすくて、「普通」をみんなに押し付けるということが起こりやすいのではないだろうか。

だから、もっといろんな国のいろんな人間が日本にやってきて、多様性が上がってグチャグチャな感じになったらいい。

そうしたら日本的な「普通」の概念が少し揺らいで、僕みたいな人間は生きやすくなるんじゃないかと思う

ちょっと長いですが、とても共感できます。

日本の普通神話は、いたるところに見られます。

普通であることが「当たり前」という空気があるため、「普通」でないと異端として扱われ、とても窮屈な思いをすることがあります。

例えば私のように精神疾患を抱えながら働いていると、「普通ではない人」というレッテルが張られ、普通ではない扱いを受けることが多々あります。

こうした行為の根底には、「普通が当たり前」という暗黙の思考があるように思います。

日本は単一民族国家で、横並び意識、同調圧力の強さがこのような思考を生む元凶ではないかと思います。

そのため、引用にもあるように、いろんな国の人、様々なバックグラウンドを持った人が日本にやってきて、多様性を持てば、「普通」の呪縛から逃れられるのでは?と思います。

人生はただの暇つぶし

どうせ人生なんて死ぬまでの暇潰しなんだ

私もよくこれを考えるようにしています。

そもそもこの世に生まれるということ自体が、奇跡なのです。

確率で言ったらほとんど0ですが、それでもあなたも私も生まれてきたのです。

そういう意味では、宝くじよりももっと貴重なものに当たってこの世に生を受けたと言えます。

こうして「たまたま」つかんだ命なのだから、人生をどう生きようと自分の勝手と思うのです。

もちろん世の中には超えてはいけないルールがありますので、そのルールの中であれば、人生の終わりまで自分の好きなように生きていい権利があると思うのです。

人間はどうしても近視眼的になりやすく、周りのしがらみに引きずられ、生きずらさを感じてしまいます。

しかし、どうせこの人生はすぐに終わるし、そもそも生まれたこと自体が奇跡なのだから、自分の好きに生きていこうと思えれば、より軽い気持ちになれるのではないでしょうか。

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