幸せというのは人それぞれです。
決してお金や容姿で幸せが決まるわけではありません。
世の中にはお金がたくさんあっても不幸な人もいるし、貧乏でも幸せに暮らしている人もたくさんいます。
結局幸せというのは自分が今の状態に対してどう感じているかが大事で、物理的な豊かさというのはそれほど関係しません。
ブータンやラオスといった一般的には貧しいと言われている国において、国民の幸福度が高いということがそのことを証明しています。
では幸せに生きていくにはどうしたらいいのでしょうか?
それは、自分に合った環境の中で、共感できる人々と共に生きていくことではないかと思います。
ここでは、そんな生き方を実践している方(phaさん)の名言とともに、個人的な感想を添えてご紹介します。
自分に合った環境で生きる
幸せに生きるためには自分とある程度同じ価値観や同じ世界を共有する友人や仲間を持つことが大事だ。
かつて自分に全く合わない環境で働いていた時のことを思い出します。
周りの人は金や女の話ばかりしていましたが、私自身は全く興味が持てず、明らかに浮いていました。
そのような環境にいること自体が苦痛以外の何物でもありませんでした。
やはり自分と似た価値観を持った人と仕事をしたり、生活をしたりということは非常に重要です。
価値観というのはある程度生まれ持ったものなので、周りの価値観に自分を合わせようとすると、間違いなく精神をすり減らします。
そのような努力をして精神を病むくらいなら、とっととその環境を離れ、自分に合った環境を探すべきです。
世の中には本当に多種多様な人がいるので、自分に合った環境や仲間というのはどこかに必ず存在します。
働くことの意味は何かの役に立つこと
仕事というのは他人のためとか社会のために何か貢献をすることだから、働いていれば周りの人に必要とされることが多くて、だから働くというのはむなしさから逃れる手段として昔から一番よく選ばれる効率的な手段だ。
これよくわかります。
正直何のために役立っているのかわからない仕事を続けるのは困難です。
最初は割り切っているつもりでも、徐々に精神的にしんどくなってきます。
つまり仕事には少しでも何かに役立っている、社会に貢献しているという要素が必要なのです。
そして、そのことが実感できることで、自分の存在意義が確認するのです。
そういった意味で働くということはとても大事なことなのですが、ではどのような仕事や働き方であれば自分にとって心地よいのかというのはまた別問題として存在します。
調子が悪い時には無理はしない
調子が悪くて動けないときは無理して動くのではなく、まだ休養が足りないのだと思おう。
まあ実際にはいろいろな事情でなかなかゆっくり休んでられないときも多いから、そういう場合は仕方がないのだけど、もし状況が許すならば休めるときはできるだけ自然に復帰したくなるまで何もしないで休むべきだ。
調子が悪いのに無理して動くと、どんどんと心身の疲れの膿が溜まり、しまいにはまったく動けなくなってしまいます。
そしてこの動けなくなってしまった状態こそうつ病です。
やはり自分の心身の声に耳を傾け、自分の状態を把握し、もし無理をしているのあれば早急に休むことが必要です。
そしてここに書かれているように、自然に復帰したいと思うまでは休息に専念するべきです。
もし焦りや不安やお金といった問題に駆られて無理して復帰しても、うまくいかないことが多いです。
それどころか無理を続けることで状況はもっと悪くなる可能性があります。
辛い時には、心身のサインに従い、やる気が出るまでしっかりと休むことが大切です。
行き詰った時は旅でリフレッシュ
行き詰まらないようにするためのコツとしては、ときどき旅をするのが良いと思う。
旅というのは日常の軽いリセットだ。
旅行で遠く離れた土地に行くと、自分が普段過ごしている日常の世界を客観的に見直して考えるということがしやすい。
旅行は凝り固まった思考を開放し、脳をリフレッシュさせるとてもいいツールです。
もちろん状態が悪く、動けないときに無理して旅行に行くことは自殺行為ですが、ある程度の体力が見についている状態においては、旅行は非常に強力な回復・気分転換のツールとなります。
ここに書かれているように、遠く離れた場所に行くことで、自分を客観的に見直すことができます。
例えば悩んでいるようなことでも、旅行に行くととてもちっぽけなことに思えてくることもあります。
ちょっと現状に行き詰ったらとりあえず旅に出る、というのも、現状を抜け出す有効な方法です。
自分という存在はしょせんちっぽけなもの
宇宙の持つ数百億年という膨大な時間と数百億光年という膨大な空間の中では、自分という人間が何をやってどう生きようがケシ粒みたいなどうでもいいことだ。全てはほんの一瞬の些細なことに過ぎない。
自分にとっては自分の認識している世界が全てなので、まさに世界は自分を中心に回っていると思えてしまうことがあります。
しかしながら現実には自分という存在は実にちっぽけで、実はあってもなくてもいいようなものなのです。
ここで言いたいのは別に自分を軽視するとかそういうことではなく、どうせちっぽけな存在なのだから自分のやりたいようにやったところで、ほとんど何の害もないということです。
自分が社会に縛られているように見えて、実は自分で自分を縛っているだけというのはよくあります。
そもそも宝くじに当たるよりもはるかに大きい最大級の確率でこの世に生を受けた時点で、本質的に人には(人以外にも)自由に人生を生きる権利が与えられています。
自分の小ささを認識することで、より精神的に自由に生きられるのではないかと思います。
家族に縛られすぎない
家族という仕組みは便利でもあるから完全に家族を捨てる必要はないけど、家族だけじゃなくていろんなところに頼れる関係を作っておいたほうが安心だし、どうしても家族が自分を苦しめる場合は家族を捨ててしまってもいい。
「家族という居場所は選択肢の一つ」くらいにみんなが考えるようになったほうが生きやすい楽な社会になるんだと考えている。
家族というのは、遠い過去から現在に至るまで非常に強力な繋がりを持った形態です。
もちろん家族というのはとても大事なのですが、一方で家族によって多くの不幸が引き起こされることもまた事実です。
一口に家族と言ってもその関係性は様々です。
とてもよい関係性の家族もあれば、各人が足を引っ張りあうような家族もあります。
家族というのはよくも悪くも関係性が濃いために、いいいときはいいのですが、関係性が悪くなるととたんに人生に大きな悪い影響を及ぼす存在にもなり得ます。
そういった意味で、ここに書かれているように、「家族は居場所の選択肢の1つ」という割り切った考えを持って接することも大事ではないかと思います。
人生の選択肢は大いにこしたことはありません。
家族にだけ依存する人生というのは危険と言わざるを得ません。
散歩で気分転換
たまにちょっと、情緒が変動してなんか不安な気分になったようなときもたくさん歩いたりする。
家にこもってずっとパソコンの画面を見つめていると思考が煮詰まって「俺はもうだめだー」という気分になったりしやすいけれど、外に出て歩くと見える景色が少しずつ変わっていって気が紛れるし、歩くという動作は一定の振動とリズムを体に与えるのでそれが精神を落ち着かせる効果があるように感じる。
体力がないからスポーツとかは全然やらないんだけど、体をある程度動かすのは大事だなということは思う
散歩というと年寄り臭く感じるかもしれませんが、散歩の効用は計り知れません。
おそらくこの世で最も健康にいい運動は散歩です。
人間は古来から歩いて生活してきているため、散歩することは遺伝子レベルで組み込まれています。
そして実際に散歩をすると、心が安らぐし、体も健康になるし、きれいな景色も見られるしいいことずくめです。
若いころは散歩というのは暇人か変わった人がやることだと思っていましたが(大変失礼な考えですね・・)、病気を患ってからは非常に強力な心身を安定させる運動だということがわかりました。
何か軽い運動をする際には、是非散歩をお勧めします。
まとめ
幸せに生きるためのヒントということで、よりよく生きるためのヒントをいくつかご紹介しました。
まとめると、
- 自分と合った価値観の仲間と一緒にいること
- 何かの役に立ってる実感の持てる仕事をすること
- 調子が悪いときには無理をしないこと
- 旅に出て心身をリフレッシュすること
- 自分のちっぽけさを自覚し、精神的に自由になること
- 家族に縛られすぎないこと
- 散歩をすること
となります。
もちろんこれらすべてをすべきという意味ではなく、こういうことをすると心身の健康が保て、幸せに生きれらるのではないかということです。
人生をよりよく生きるためのヒントとして参考にしていただければと思います。
【参考文献】