うつ病はまだまだネガティブなイメージの多い病気のため、なかなか表には出てきにくい側面がありますが、私の知人にも何人かうつ病を罹った人がいます。
その中の1人である親の意思に逆らえず、最悪の結末を迎えてしまった人の話をここではご紹介します。
これまで何人かうつ病に罹った人を見てきましたが、今回の話はそれらの中でも最も悲痛な最期を遂げてしまったものです。
あまりにもショッキングで大きな爪痕を残した出来事であり、正直書くこと自体が憚られる思いもあったのですが、多くの教訓を残した事例でもあり、ここでご紹介させていただきます。
医者になることを義務づけられる家に生まれる
今回紹介する彼は、両親がともに医者という家に生まれました。
当然家は裕福で経済的にはとても恵まれていましたが、一方で両親が医者ということで幼いころから自身も医者になることを義務付けられて育てられました。
小さなころから学習塾に通い、成績も優秀でエリートと呼ばれる高校に進学しました。
しかしながら、高校に入り、大学受験を意識し始めたころから彼の歯車は徐々に狂い始めていきました。
理想と現実のギャップ
実は彼自身は医者になりたいとは思っていませんでした。
むしろ医学のような理系の分野ではなく、文学の好きなこてこての文系の特徴をもった人間でした。
彼自身は本を書いたり、読んだり、編集したりといった文学的な仕事にあこがれをもっていたのですが、彼の家柄がその夢を許しませんでした。
また彼自身も親に反抗するようなタイプではなく、できるだけ親の期待に応えようとするタイプであったため、自分の夢は心の奥底に仕舞い込んだまま、親の期待に応えるように医学部の受験に備えていきました。
2度の医学部受験失敗
おそらく彼の中で大きな葛藤があったのだろうと思います。
本当に自分は望んでもいない医学部に進んで医者になるのだろうか、本当にこれが幸せな道なのだろうか、と。
その葛藤の影響か、彼は2度受験に失敗し、3度目にようやく医学部に合格します。
彼の聡明さから考えると2度も受験に失敗することは考えにくいことですが、やはり精神面での影響が大きく現れたのではないのかと思います。
大学時代から精神科に罹る
二浪はしたものの、晴れて医学部に入学し、あとはつつがなく過ごしていけば医者になれるという切符を手にしました。
しかしながら、事態はそう簡単には進んでいきませんでした。
興味のない医学への道、日々繰り返される興味のわかない講義や実習、捨てきれない彼自身の文学への夢、こういったものが徐々に蓄積されていき、在学中に彼は精神を患い、精神科に通い始めました。
病名は適応障害から自律神経失調症、うつ病ところころと移ろったようでよくわかりませんでしたが、抗うつ剤や睡眠薬を使いながらやりくりしていく日々が続いていきました。
どうしても好きになれない医学の道
薬を使いながらもなんとか医学部を卒業し、医師の国家試験にも受かり、彼は晴れて医師となりました。
そして医師の登竜門である研修医になりました。
研修医というものがどれほど肉体的、精神的に大変なものかは私には想像でしかわかりませんが、一般的にはかなり大変な仕事のようです。
まだまだ未熟であるにも関わらず、患者からは1人の医者として見られるので心身ともに大きなプレッシャーがかかるということは想像に難くありません。
まして彼の場合、親の期待に応えるためだけに医者になったのであって、日々の業務が大変であるだけでなく、その業務自体に全く興味を持てないというとてもしんどい状況に置かれていたのだと思います。
そして彼は研修医時代に自らの命を絶ってしまったのです。
自殺の直接の原因は不明だが、サインは昔から出ていた
今となっては彼が自ら命を絶った直接の原因はなんだったのか私にはわかりません。
ただ幼いことから医者になることを義務付けられ、自らの意思に反して無理を続けてきた結果、あるところで限界に達してしまったのではないかと思います。
医者という職業は権威があり、収入もよく、憧れの職業の1つと言われますが、必ずしも誰にとってもそうであるわけではありません。
むしろ彼にとって医者という道は、生まれた時から自分に課せられた十字架のような存在だったのかもしれません。
もし彼がもっと自分の思い通りに生きていたら、もし彼の両親がそこまで厳格でなければ・・・、たらればを繰り返しても仕方がありませんが、やはりそう思わずにはいられません。
いくつかの人生における教訓
彼の死によって発せられた教訓はいくつかあります。
1、自分の心に従って生きること
やはり人間というのは自らの意思に逆らって生き続けるということはできません。
もちろん社会に出てからは自分の意思とは異なることをしなければならない場面も多々ありますが、それは多くの場合一過性のものです。
もし自分の意志とは異なることを続けていかなければならないような状況に陥った場合には、速やかにその場所から距離を置く必要があるのではないでしょうか。
周りの目や世間の評判などではなく、自分の心はどう感じているのかを基準にすることが、元気に生きていくためには大切なことだと思います。
2、人生の選択肢を多く持つこと
彼のように人生の選択肢を1つに決められ、それしか生きる道がないという状態は精神的にとてもしんどいです。
もしその道が自分のやりたいこととマッチしていたとしても、人間のやりたいことや周りの環境は時間とともに変化するため、他に逃げ道がないというのはやはりしんどい状況です。
サラリーマンにとって複数の選択肢を持つことは容易ではないかもしれませんが、いざというときには転職できる、副業でなんとかやっていける、蓄えが十分あるといった会社に縛られないような状況をつくることが大切ではないかと思います。
また、今後サラリーマンが多様な生き方をできるような制度が広がっていくことを大いに期待しています。
3、人生は自由であるということを認識する
人生は本来自由なものです。
人間というのは、どうしても周りを見ながら自分はどうなのかと考えてしまいがちですが、実はそうではありません。
今の世の中、生きていくだけであれば全く難しいことはありません。
心身ともに健康でさえあればどうやっても生きていけます。
周りの意見や行動に流されず、自分の意志で自分の人生は決められるということを常に頭の片隅に置いておけば、多くの困難な状況も乗り越えられるのではないかと思います。
最後に
今回ご紹介したケースは私にとってもとても重く、書くのもとてもしんどいものでした。
しかしながらあえて書いたのは、そこから得られる(得るべき)教訓が数多くあったからです。
本来人生というのは自由なもののはずです。
そしてこの自由を失わせているのは自分の固定観念であったり、親の期待であったり、周りとの同調性であったりします。
この世に生を授かったということは、(法に反しない限り)自由にこの世を生きる権利を得たといってもいいかもしれません。
今でもたびたび彼のことは思い出し、人生とはなんだろうかという思いにふけることがあります。