うつ病になって思うこと、それは当たり前だったことがいかに大切なものであったかということです。
元気な時には当たり前であることの大切さには気づきにくいですが、失って初めていかに大切なものであったかを思い知らされます。
うつ病になると当たり前のことができなくなる
普通に仕事ができる、食事ができる、散歩ができる、睡眠がとれる、こんな当たり前のことがうつ病になるとなかなかできなくなってしまいます。
なかなか眠れないし、食欲もない、もちろん仕事もできなければ散歩もできない。
あれほど当たり前であったことができなくなり、なぜこんなことになってしまったのだろうと日々自分を責め続け、過去を後悔し、なかなか前に進めません。
健康な時の不満などほんの些細な事
健康なときは仕事に対してもいろいろ不満はありました。
自分の時間がなかなかとれないことへのいらだちもありました。
しかしながら、いざ病に侵されてしまうと、そんな不満など吹き飛ぶつらさ、不自由さが待っています。
そして、気が付きます。
それまでの自分がどれほど恵まれていたかを。
健康であるだけでどれだけ幸せであるのかを。
毎日働けるだけでどれだけ充実した日々だったのかを。
人というのは自分の近い過去や未来しか見られないため、自分がいかに恵まれているかということをなかなか理解できないものです。
そして、いざその幸せが壊れた時に、いかに自分がそれまでに恵まれていたのかに気づかされるのです。
しかし、そうなってからではもはや手遅れです。
失ったものを取り戻すことは不可能であるか、もし可能だとしてもとても多くの時間が必要になります。
大切なのは壊れる前に自分を守ること
とにかく大切なのは自分の心身が壊れてしまう前にどんなことをしてでも自分を守ること。
一度壊れてしまうと、修復までにはとても長く、険しい道が待っています。
壊れる前であれば、応急処置程度で済むかもしれません。
今でも後悔してやまないのは、明らかに自分の様子がおかしいと気づいていながら、それを放置してしまったこと。
あのときはもうどうにでもなれという投げやりの心境になってしまっていたが、今にして思えばもうそのときはすでに病に侵されていたのかもしれません。
一度発症してしまうと、もう後戻りできない道を進むことになります。
そして暗いトンネルの中をさまよいながら、長い月日を過ごすことになります。
場合によっては出口が見つからず、さまよい続けることになるかもしれません。
人生は短いと言いますが、実質的にその短い人生が更に短くなってしまいます。
長い月日をかけ、長く険しい道のりの先に、ようやく出口が見つかるかもしれません。
しかし、出口を抜けても、再びそこには長いトンネルが待ち構えているかもしれません。
一度心身を壊してしまうと、このようなとても長く、複雑で、険しい道のりを今後歩いていかなければいけません。
とにかくどんな手段を使っても心身が壊れる前に自分を守ること。
それがなによりも大切です。
健康に勝る資産はありません。
人生を豊かにするために最も必要なものは、「お金」でも「家族」でもなく、「健康」なのです。
コメント
わかる気がします。自分が適応障害になり病気だと思わず退職してしまいました。今となっては生活が不自由になり楽しめない状態が続きます。同感です。そうなる前に誰かに相談した方がいいですね。反省したって手遅れです。参りました。
そうですよね、失ってから気づいてももう戻れないところがつらいですよね。
どうかお大事になさってください。